生きのびた記録

日記と雑記と読書記録

生きのびた読書日記(11月22日〜24日)

2023年11月22日(水)

連休前だ、とがんばってちゃっちゃか働いていたら、早々にやるべき仕事は片づけられたので、こまごましたことをやっていた。

現時点では自分は割とうまく仕事をこなせているほうだと思う。でも、この仕事が得意だからこなせているのか、簡単な仕事しか割り振られていないからこなせているのか、どっちなのかはよくわからない。後者だった場合、慢心していつか躓きそうなので、常に自分に対して「調子にのるなよ」と釘を刺している。

パトリシア・ハイスミス『キャロル』を読む。以前映画をNetflixで観たのであらすじは頭に入っていて、映画との差分を確認していく作業みたいに読んだ。小説のテレーズは若さゆえの無鉄砲さが際立っていた。キャロルは現実味がない、フィクションみたいな人に見えた。
(そういえば、映画は前に1回観たのを忘れてもう1回観たのだった。ラストシーンに入ったところで、結末を知っているのが不思議だったのだけど、履歴を見て気づいた。)

 

2023年11月23日(木)

今日から連休なので心が穏やかである。人間ってのは週に3~4日しか働けないようにできているんじゃないんだろうか。週5で働くと人間的生活の実現はままならない。

コンサートに行く。才能がある人というのは、嫌味なく自然に主人公の位置に行けて、そこにいるだけでも目が行ってしまうのだなあと思う。ほとんどは当人の努力のたまものゆえなのだが、底の方のひとかけらは、「天賦の才」みたいなものなんじゃないだろうか。

岩川ありさ『物語とトラウマ』を読む。クィアとして言葉を紡ごうとするとき、そこにシスヘテロの言葉しかないと、うまくそれらの網目をとらえていくしかない。不自由だ。(例えば代名詞。日本語の代名詞は「彼」「彼女」しかなくてノンバイナリーの代名詞はないので、「あの人」とか「○○さん」とか他の言葉で代名詞を表現せざるを得ない。しかしそれはあくまで"代用"である。)

 

2023年11月24日(金)

捨てられた残飯のようにぐちゃっとしながら引きこもっていた。ろくなことがないので外に出る。エジプト料理を食べてみた。とにかく豆が煮てある。肉と一緒に食べるとうまい。スープにちいさいパスタが入っていてそれもうまい。

スープに触発されてポトフを作ろうと思いスーパーに寄る。スーパーに行くといつも思わぬ買い物をしてしまい、自分の意思のへにょへにょさにびっくりする。じゃがいもがかばんにはいらないので手に掲げながら帰った。ポトフはそれだけで夜ご飯になった。いつもこうがいい。

金原ひとみ『ハジケテマザレ』を読む。ステイホームからは抜け出してきた、でもなんとなく鬱屈した気分とたるんだ感染対策のなかで夜な夜なバイト先の控え室にて繰り広げられる会話と冒険。バイト仲間はみんなきらきらしているのに主人公だけが地味というか普通なので安心する。勇気を出して人の集まる場所に行くけど結局誰とも話せずに1人で半端に飲み食いして帰るような人間。

 

2023年11月25日(土)

本を読みに外に出る。やろうと決めていたことは一つもできていないが、まだ土曜日なのでなんとなくものすごい幸福感に満ちている。毎週こうならいいのに。帰りにカメラを買った。

寺井奈緒美『生活フォーエバー』を読む。家とスーパーと職場にしか行ってないのにこの人の生活はなんでこんなに面白いのかわからない。「股引き」の話で、スパッツと赤い靴下を重ねばきした自分の姿を「ゆるゆるアトム」という表現たるや。笑ってしばらく動けなくなってしまった。

 

2023年11月26日(日)

神奈川の独立系書店と出版社が集まるイベント「本は港」に行く。横浜はとてもいいところだと思う(自宅から1時間半くらいかかるのを除けば…)。海の気配が常にあって、呼吸がしやすい。本が好きなひとがたくさん、本当にたくさんいて、静かに熱かった。

生活綴方に行って、店番の方とおしゃべりする。港北外国語大学(KUFS)、楽しそう。来月行ってみようかな。

『エトセトラ vol.10 男性学』を読む。五月あかり「誰も好きになってはならない」がよい。ホモソーシャルな関係はミソジニーホモフォビアではなく、「女性性の排除」で成り立っていると著者は述べる。女性性を排除しつつ、女性への欲望は表明しなければ、「男同士の絆」は保持できないのだ、と。尹雄大『さよなら、男社会』をこないだから読んでいるけれど、そこで男性同士の繋がりに対してカラカラに乾いた、荒れた寂しいイメージを感じていた。それがどこからくるのかというのが、本特集の記事でうっすらと見えてきたように思う。