夕飯のあとに、縫い物をした。手を動かすのは楽しい。動かした軌跡が縫い物として目の前に現れてくると、自意識と身体の動きと現実とがきちんと結びつけられる。ゆらゆらと漂って掴みどころのなかった身体感覚がチューニングされて実体を得る。現実世界に存在するものとして形作られ、そういえばおれは生きている人間だった、と思い出す。
一日1人でいると、生きた心地がしない。それは自分しか自分を認識する人間がいないから。自分と、自分を認識している自分、その境があいまいになって、自分が存在しているのか溶けているのかわからなくなる。1人でいる時間が長くなればなるほど、自分が人間ではない何ものかへと変容していくような気がする。
いや、もともと人間ではなかったのかもしれない。ぬめりとした、あまり陽の当たらないところに棲んでいたいきものが、ひょんなことから人間のかたちを得たんだろう。そして人間として生活しているうちに、だんだんと人間としてのアイデンティティが優勢になりそれまでの自己を忘れていた。そしていま1人になって、いきものに戻ろうとしている。それだけの話なのかもしれない。
こんなふうに変に想像力が働くことなんてなかった。おれは人間だと思いたいし、人間でいたい。やはりおれは1人でいるのは性に合わないようだ。