生きのびた記録

日記と雑記と読書記録

生きのびた日記(2024年1月27日)

実家の手伝いがあったので実家に帰る。

帰る道中でどんどん自分が縮んでいっている感覚があった。実家は居心地が悪いわけではない。家の人たちはみんな優しいし、ただ一人の子どもである自分は大人たちの中で庇護されていると感じる。しかしその中にいると、自分のこれからの可能性が全部なくなって、歩みが止まり、身体がどんどん縮んでゆく気がする。動けなくなってしゃがみ込み、誰かの手が差し伸べられるのを待つしかなくなる。大人になれない、大人としてなにも判断ができない、という表現が、近いのかもしれない。

何回も言うが家の人たちはとても優しくて、寛容で、理解がある。たぶん私がどんな選択をしても、私がどんな存在でありたいと思っていても、全部受け入れてくれるだろう。

ただ、私自身、あの環境の中にいる限りは、ずっと大人の顔色を窺うこどもでありつづけなければならない、抜け出せないという考えに囚われてしまう。(それは勝手に自分一人が考えていることで、だから考え方を変えればいい、という指摘もあるだろう。でももうこの考え方で20年以上生きてきてしまったのだから、精神的な転換は難しい。物理的に離れないと変わることはできない。)萎縮し、他者との関わりを断ち、一人の殻に閉じこもって悶々とし続ける生活しかできない。何もできない自分が嫌いになり、ずっと希死念慮を抱きながら過ごすことになる。だからそこから抜け出すことにしたのだ。

一人の暮らしは緊張もある。これからやっていけるのかと、いつだって不安がつきまとう。でも、一人になって初めて、私は私の暮らしに責任を持つことができた。家の人に責任を転嫁しないで、全部自分で責任を持てるようになった。それは裏返せば、なんだって自分で決めてやっていいってことだ。やりたくないことはやらなくていいし、やりたいことはやっていい。それがなんて素敵なことなのか、やっとわかってきた。

帰りの電車で、ほう、と息をつく。身体が元の大きさに戻るのを感じる。うん、私が私の元に戻ってきた。私は大人で、なんでも自分で決められる。もう大丈夫だ。