生きのびた記録

日記と雑記と読書記録

生きのびた日記(12月25日〜12月30日)

2023年12月25日(月)

前回から間が空いた。間が空いたのは仕事の試験とか住みかを決めるとかいろんなことがあったからで、それが落ち着いたので書こうという気になった。本が読めていないと「読書日記」を書くのは腰がめちゃくちゃ重くなるので、「日記」にしてハードルを下げてみる。

 

2023年12月27日(水)

仕事納めの日。やる気は全く、でない。力を抜いて仕事をすることと、手を抜いて仕事をすることの違いがわからなくて、全力でやるか手を抜くかの両極端になるきらいがある。0-100に振り切れるのは若さなんだろうけれど、もう少しバランスというものを身につけられないものか、とも思う。

昼休みに役所に書類を取りに行く。

ものを決めるときや決めた瞬間に、いつも、もう後戻りはできないのだ、とみぞおちがひゅんと冷える感覚がある。自分が発射台に乗せられたロケットのようだと思う。あとはもう進んでいくしか選択肢がないのだ。

役所で書類を取った時、また自分は発射台に乗ってしまった、と思った。戻れない、失敗したら帰れない、そんな不安ばかりがむわむわと湧いてくる。

夜、読書会に参加する。1人で見えなかったものが、他の人の読みを通じて明らかになる過程はすごく楽しくて、かつ自分にとっての癒しになる。人間であることを思い出させてくれ、私は人間として息を吹き返す。こんな営みが楽しかったのだ。自分にはこうして生きられる場所があるのだ。それが命綱の一つになって私をこの世界に繋ぎ止めていてくれる。

 

2024年12月28日(木)

12月はものごとが動いた1カ月だった。

うんうん唸りながら勉強して、試験を受けて合格した。

ずっといた場所から出て行くことにして、やったことのない決断を次々していった。

初めて会った人たちと、付き合いの長い友人のように親しく話した。そんなことはいままでなかった。

これまで付き合っていた人と、今までにしたことのない話をした。彼らの新しい一面を見て、彼らが自分とは全く違う人間なのだと改めてわかった。

新しい風がぐんぐんと入ってくることがわかるのだけれど、一方で自分自身は滞ったままだった。忙しいこと、余裕のないことを理由に身の回りを雑然とさせたまま放置し、居心地の悪い寝床で今でも眠り続けている。

新しい方向に進むのを、一番引き留めているのは自分だ。楽しい暮らしを考え、思い描くのを、自分が自分に許していない。

セルフネグレクトという言葉がある。自分を大切にしない状態。それを思春期の頃からずっと続けている。周りの人に恵まれていて、愛情を受け取ってこられたはずなのに、自分が自分に愛情をかけてあげられない。

家族には、どうして、といわれる。わたしたちはあなたに愛情をかけてきたつもりだ、なのになぜ、あなたはあなた自身に愛情をかけてあげられないの。

家族のこの認識はたぶん歪んでいない。自他共に認める愛情深い家族だと思うし、家族の生育環境により、私は呪いの言葉をかけられずに育ってこられた。ただ、私は私自身に、呪いの言葉をかけたのだ。無価値で怠惰で不勉強で無神経なおまえは、生きていてはいけないと。

 

2023年12月29日(金)

眠る。なんでこんなに、というくらいよく眠る。眠っているあいだは自己否定も劣等感も何もないから安らげる。

 

2023年12月30日(土)

タイムラインが虐殺とヘイトを伝える文で溢れかえる。世界は牙を剥いて絶望させようとしてくるみたいだ。行動する人に尊敬と羨望の念を抱き、すぐに反応できない、行動していないことで自己嫌悪に陥る。

尊敬とか羨望とか言ってんじゃねえ。何もできなくはないし、一人分は何かしらできることがあるだろう。署名する、メッセージを送る、近い人にはシェアする。あとは自分が生き延びて、また明日も行動ができるようにするんだ。自分のなかに閉じこもっているだけじゃ抵抗にならない。自分を大切にする。それはただのケアじゃなくて、抵抗の力を出せるようにするケアで、とてもラディカルなものだ。自己嫌悪で地面に這いつくばって動けなくなっていても、そのなかでひとつでも署名を送れたら、イスラエルに抗って吹き荒れる砂嵐の、砂粒の一つくらいにはなれるんじゃないか。