生きのびた記録

日記と雑記と読書記録

生きのびた日記(12月13日〜12月15日)

2023年12月13日(水)

また歌を歌いに行く。合唱は前の方に座るのがよい。後ろから聞こえてくる声で音が取れるから、初心者に優しいのだ。音がわからなくなっても大丈夫。他の人の声にのっていけばよい。

前に座ると、歌うときに音が圧になってぶわーんと背中におっかぶさってくるのがわかる。楽しい。たくさんの人間が同じメロディを歌うと一つの生き物になっているみたいだ。一人一人の声はそれぞれ生き物の細胞になっていて、ちかちかと光る。生き物は活気づき、なにやら面白い動きをし始める。

 

2023年12月14日(木)

娑婆に出てものを食ったり人と喋ったりする。楽しかったけど、わたしがシスヘテロであることを前提に話が進む場面があって、一瞬凍りついてしまった。

決めつけんな。決めつけんじゃねえ。と思いながら愛想笑いをして「そうじゃないっすね」とうっすらとした否定の表明しかできなかったのはおれが弱いからなのか。なんでおれがこんなことを考えたり悩んだりせねばならんのだ。ちくしょう。家父長制は滅び異性愛主義はなくなるべきだ。おれを、おれたちを、とうめいにするなよ。その箱には入りたくねえんだ。入りたいやつと入りたくないやつがいることくらいわかれよ。むりに入れんじゃねえよ。クソ。

北尾修一『自分思い上がってました日記』を仕事の合間にぱらぱらと読む。がんの告知を受けてから、いろんな検査を通過して行く著者。死が近くにあり、残されたものも心配。なのだけど、なんかおいしそうなもの食べたり、いろんなとこに行っていろんな人と喋ったりしていて、楽しそうなのである。この人はもしかしたら、いま・ここにとても集中して、その場の人を尊重しているから楽しそうにみえるんじゃないだろうか。

 

2023年12月15日(金)

いろんな人と話した日だった。聞き下手で話してばかりだったと反省。おれはいまのところいろんな作品を自分語りのかたちでしか語れない。それが多分おれの限界で、くやしい。

余裕がない。ないのに夜中までだらだらと映画やら何やら観ている。「呪術廻戦」を数週間前から観はじめて、先日最新話まで(映画含め)たどりついた。自分より年下の人たちが健やかに生きられず危機に晒されるストーリーは、観ていて楽しいものではない。というかつらい。でも、その凄まじい力の輝きや、それを表現する画面の美しさにどうしようもなく惹かれて食い入るように毎週観てしまう。引き裂かれていると感じる。

ジャネット・ウィンターソン『フランキスシュタイン』読了。フランケンシュタイン—人造人間の物語を書く人・"メアリー・シェリー"と、人造人間の作成の試みを見つめる人・"ライ・シェリー"との語りがオーバーラップし、交差する。『フランケンシュタイン』とは異なり、この物語では人造人間が生まれたかどうか定かではないエンディングを迎える。女を経ずに人間を作ろうとすることへの驕りと皮肉であるように思う。