生きのびた記録

日記と雑記と読書記録

生きのびた読書日記(12月4日〜12月10日)

2023年12月4日(月)

うたをうたう。ひさしぶりにうたったから、声はひしゃげ、息は苦しく、音程も怪しい。しかしこの、自分の身体を使ってうつくしい旋律を再現しようとする、というのはたのしい。体が一つの筒みたいになった気がする。

いま・ここの自分1人で歌っているのではない、という確信をもちながら歌っている。過去の、未来の、どこかで、自分には想像もつかないような人間も一緒に歌っている。その人が、寂しかったり悲しかったりしないといいなあと思ったりする。

それにしても、音をとるのは難しい。いまどこにいて何を歌ってるんだ?とすぐ迷子になる。声がふらふらあっちゃこっちゃ行くのがわかる。この下手さを、恥ずかしいではなくて、愛おしい、と思えるようになったのは成長なのかもしれない。

柿内正午『会社員の哲学』を読む。部署が切り分けられると、他部署の業務はよくわからなくなり、他部署の「あいつら」と自部署の「おれたち」に分断される。線引きされることで連帯と疎外が生まれる。最近、仕事で他部署とのやりとりが増えたのだが、そこで感じるやりとりのしにくさ、噛み合わなさはこういうとこに一因があるんじゃないかなあとぼんやり思う。とはいえ、ほとんどは自分の経験の足りなさに起因するものなのだろうけれども。

 

12月5日(火)

ぶん、と感情が大きく振れた。ごうごうと大風が胸の真ん中を吹き荒れる。みぞおちに重い石が急にぐいっと入り込んで、身体はどこまでもすとーーーーんと下に落ちていく。歯を食いしばっているのに気づいた。

久しぶりに怒っていた。ざわざわとした感情が何なのかわからずにしばし持て余し、人に話してやっと怒っているのだと気づいた。怒りに慣れていない。週末に会った人にも大切にされたとはいえない扱いを受けたので、それとダブルパンチで効いてきている感じがする。

横道誠『みんな水の中』を読む。詩のような文、論文的な文、小説的な文それぞれで、発達障害当事者である自分が見たもの、考えたことが書かれる。著者自身の感性の深いところに触れているような部分もあって、これは読んでしまっていいのか、と躊躇いながら読んでいる。

 

2023年12月6日(水)

部屋の片付けをする。

先月からずっと部屋が秩序を失っていて、家に帰るのが嫌だった。夜寝る時も、いろんなものが目に入ってきて、きちんと休まることがなかったように思う。片付けをしたら、心のざわつきがなくなったのでおどろいた。それまでも平常心ではあったけれど、頭の後ろのほうではずっとノイズが鳴っていて、そのノイズが片付けをしたらスッと途切れたような気がした。やっと、ほんとうに、落ち着くことができた気がする。部屋がごちゃついていると生命力まで奪われるような気がするが、それはごちゃつきからくる「おまえにはこれくらいの雑な扱いがちょうどいいんだ」というノイズによって体力がじわじわと削られているから、かもしれない。

来年は住まいを変えようと思っている。身軽になろう。いらないものも、少しずつ減らしていこう。ノイズを減らしたら、もっとよくいろんなことが見えて、考えられるのではないだろうか。

 

2023年12月7日(木)

思ってもみなかったところから思ってもみないものが、ぬっ、と出てくるというトラブルがあった。嫌な緊張の仕方をしたので、疲労が大きい。

準備が足りなかったことは百も承知だが、では準備の過程で出てくることを予想できたか?ときかれると、うーーーん、と唸ってしまうくらいの小難しいものだった。経験年数の足りなさと、思慮の足りなさと、見込みの甘さが、うまい具合にかけ合わさっちゃっていた。

前ほど落ち込むことはなくなった。仕事の出来の評価を自身の評価に接続させないように地味に訓練をしていたのが、効いたようだ。ぐったりしてはいるが、自己否定までは達していない。うん、大丈夫、と思えるくらいまでにはなった。

 

2023年11月8日(金)

水がもうない。さっき飲み切ってしまった。水道水は注いだばかりのほうがまだちょっとあたたかくて、すこし放置してから飲んだらきん、と冷え切っていた。

つめたい塊が喉を通って胸に届くのがわかる。この、胸、てのはなんで出っ張ってるのかがわからない。最近ますますわからなくなった。これは、わたしのからだに必要じゃないな、と思いはじめてから多分もう2年くらいになる。なぜ、必要とされない人についていて、必要な人についてないのか。

そのうちわたしはこれを取るだろう。下半身についているものも、いずれ取ることにするだろう。いや、取ることが決まっている確信がある。頭のどこかで、そうなることをわかっている。

正しいクィアであらねばならないと思っていたけれど、正しさを求めはじめたらそれは疎外のはじまりでもある。自分を疎外することは他者を疎外することにもなる。やめよう。やっとそう思えるようになった。

パレスチナの惨状をみる。ハッシュタグをつけて呟き、地味なボイコットと寄付をする。十全とはいえないアクション。すぐやらない言い訳をしたくなる。公に広がる無関心と偏った語りに茫然とする。

 

2023年12月9日(土)

住むところを探す。寂しがりなのに一人暮らしをできるのか、無理ではないか、と言われる。でも1人だから考えられることやできることがあるんではないかと思う。おぼつかなくとも2本の足で立ってみたい。

周司あきら『トランスジェンダー男性学』を読む。シスヘテロ男性による男性学において、トランス男性は疎外されてきた。シス男性とかさなるもの、シス男性にしかわからないもの、そしてトランス男性にしかわからないものを解きほぐしていく。

 

2023年12月10日(日)

「セイジドウラク」のイベントに行く。こんなにたくさんの人が聴いているのか、と思うと嬉しい。政治の話はどうしたって憤りが混ざってくるし真剣になってしまうんだが、そうじゃない「ドウラク」的な見方もしたい。というかそういう見方ができる余裕を持っていたい。余裕を失わせるような方向にどこもなっていっているけれど、ちょっと違うところからぽいっと球を投げるようなことはできたらいいと思う。